五島の隠れた宝でまちをつくる。そして怪談

五島の隠れた宝でまちをつくる。そして怪談

京都で活動する「本町エスコーラ」と大見新村プロジェクトの方々を招いて、
五島のまちづくりの将来を考えます。
その後は怪談師のワダさんとチビル松村さんによる怪談。なぜまちづくりと怪談なのか?
下に長めの趣旨文があります。

■日時:2021年6月5日(土)

■参加料:無料

■会場:SLOW CAFE たゆたう。

■プログラム

・第一部 16:00から18:00(予定)

「本町エスコーラ」「大見新村プロジェクト」のメンバーによる話題提供
スピーカー:河本順子・山口純

・第ニ部 18:00から20:00(予定)

怪談師のワダ氏、チビル松村氏による本気の怪談
スピーカー:(ワダ)和田寛司・チビル松村
ファシリテーター:片岡 優子

■主催:五島 海のシルクロード芸術祭実行委員会|特定非営利活動法人 BaRaKa
■助成:長崎県地域づくりネットワーク協議会

Information:Slow Cafe たゆたう。 Tel : 0959 -88-9444   E-mail : tayutau510@gmail.com

問い合わせ

ゲストプロフィール

河本順子

河本順子/京都市在住、会社員

大見新村プロジェクト」「本町エスコーラ」メンバー。
週末は山奥の廃村で耕作放棄地を開墾してハーブを育て、ハーブティーを販売中。
京都市内でシェアハウスを運営、ニワトリと共にそこで暮らしている。
AAF(アサヒアートフェスティバル)にプロジェクトが数回採択され、
五島列島への縁ができ現在に至る。

山口純

山口純  /横浜国立大学 産学連携研究員。武蔵野美術大学 非常勤講師

「大見新村プロジェクト」メンバー・一般社団法人 エスコーラ理事。
デザインやモノを作ることの実践と理論的研究をしている。
博士論文「C.S.パースの記号論に基づく探究としての設計プロセスに関する研究」
共著「お金のために働く必要がなかったら、あなたは何をしますか?」(光文社)

ワダ

ワダ(和田寛司 )/  建築家。怪談蒐集家。

1986年京都市生まれ。2008年KASD卒業。
2010-2013年 一級建築士事務所 アルファヴィル。
2013年 建築設計事務所 ランチ!アーキテクツ設立。

チビル松村

チビル松村 / 怪談師

2019年から怪談師として活動を開始。
MBSラジオ「北野誠の茶屋町怪談」、北陸放送「松原タニシの本多町怪談」、
竹書房怪談最恐戦など多数のラジオ、イベントに出演。また自身でも
「Howling Ghost Viliage」や「両国怪議」など多数のイベントを企画。

本町エスコーラ(一般社団法人 エスコーラ)

京都東山区にある路地奥の元鋳物工場跡地をDIYで改修しシェアオフィスや住居として活用している。
利用者による自治によって運営。大学教員(京都精華大学学長ウスビ・サコ氏など)、庭師、
アートコーディネーターなどが関わっており、海外出身者も多い。

大見新村プロジェクト

京都左京区大原にある40年前に廃村になった村の再生の活動。
日本国内での今後の高齢化、人口減少を見据え、今だからこそできる廃村と都市部との付き合い方を模索している。
京都芸術センターにおける「逡巡のための風景」出展。
美術手帳の2021年ニューカマーアーティスト選出。

<趣旨文>

コロナウイルスを本格的に意識し始めたのは、2020年のバレンタインデーあたりだったと記憶しています。
その後の一年と数カ月は、これまで見過ごしていたものごとに向き合う時間でした。
愛する人、家族、友人と共に過ごす時間、そして生と死。
文化芸術活動が不要不急と簡単にカテゴライズされていくなか、私たちはなにを大切にするのか。
後からデマだと知りましたが、とある土地のコロナ第一号の家族を周囲の住民が執拗に追い詰め、
当人やご家族が自死するに至る、という話を聞いたとき、
私たちは目に見えない何かに支配されている気がしました。

五島でも御多分に洩れず、五島第一号の噂が広がり、二転三転しました。
伝言ゲームのように尾鰭背鰭をつけて話が広がっていく様子は、不謹慎かもしれませんが落語の滑稽噺のよう。
五島でのコロナ第一号患者さんの「犯人」探しは次のようなものです。
五島の土地の名前(大浜)→大浜さん→とある不動産屋さん→福岡に行った夫婦、などなど
いまだに初めて五島でコロナ陽性者になった方を私は知りませんし、見つけ出すことに興味もありません。
ただただ、患者さんはお気の毒だと思います。誰しも第一号になる可能性がありました。
人々の差別への無責任さが不安にさせます。
自分以外の誰かへの悪意ある噂話を嬉々として語る人の目を見たときに、
それは五島に潜む妖怪や死霊生霊よりも恐ろしいと思いました。

富江の琴石地区へと向かう途中、「にぎりの浜」と呼ばれる場所の手前に、
かつて赤痢患者の遺体を投げ捨てていたとの話を聞きます。
ある時期になると、そこに女性が立っていて、時々追いかけてくるのだと、ある少年から聞きました。
コロナ陽性者に対する心無い誹謗中傷は、「穢れ」の感覚が現代の私たちにも根深く残っていることを
露呈するものではないでしょうか。
穢れの感覚はまた、妖怪や幽霊にリアリティを持つ感覚やアニミズム的な感覚とも地続きです。
良くも悪くもそうした感覚が、芸能を生みだし、コミュニティを成り立たせてきたことを、
民俗学の研究は教えてくれます。

これからのまちづくりにおいて、新しいコミュニティのあり方を構想する必要性があると思います。
どれだけ立派な理念やコンセプトや仕組みがあっても、それだけでは不十分です。
非言語的で身体的な感覚の更新や、それをもたらすコミュニケーションのあり方が問われるはず。
だからこそ芸術が求めらる。私たちは感覚の奥の方、闇の部分に目を向けざるをえない。
コロナ陽性者への差別をもたらすような感覚を維持したままであって良いとは思いません。
感染症対策は科学的に合理的になされるべきでしょう。
しかし結局のところ、科学だけでは価値を問うことはできません。
私たちの心や体の奥の方にある闇。地域の闇。
闇を共有することで生まれるコミュニティや場所というものもある。
分かりやすい価値ではなく、闇を軸に、コミュニティ、芸術、まちづくりについて考えることはできないでしょうか。

五島の町の隠れた宝でまちづくりをします。五島には素晴らしいものが沢山あります。
しかし、分かりやすく素晴らしいものだけが宝なのではありません。
むしろ、無意味でくだらないと思われていたものや蔑まれたもののなかに、闇のなかに、宝はある。

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